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since:2009.08.26
 ~ぼくらの青い春:日下と草太~ 
 
 
 「ごめんね。」
そう言って、お母さんが知らない人と出て行った。
謝るくらいならどうして僕を置いていくのか。一緒に連れて行って欲しかった。
お母さんの手の温もりをずっと感じていたくて、去り際僕は腕を一生懸命伸ばした。
優しいお母さん。僕はお母さんが大好きだよ、だから僕の手を掴んでくれる?
でもそんな僕の気持ちを無視してお母さんは背を向けてそのまま玄関の扉を閉めた。
僕の喉から悲鳴のような声が出た。
追いかけようとした僕をお父さんが羽交い絞めする。暴れる僕を押さえつける太い腕。その腕が僕の首に食い込んだ。
苦しい。
僕はもがく。
容赦のないお父さんの腕が僕の呼吸を困難にする。意識が遠くなってきた。
醜態を晒す僕の視界に階段に座る弟の姿が見えた。弟は泣きもせず、ただぼうっと玄関の扉を眺めていた。
お父さんは僕の弟がお気に入り。だから僕には容赦がない。
お父さんの視線は全て弟のもの。優しい言葉も僕には注がれない。
お母さん、こんなところに僕を置いていかないで。
一瞬天井が歪んで見えた。かしゃんと眼鏡が落ちた音を耳の近くでリアルに聞いた。
僕はそのまま暗いところまで、ゆっくりと落ちていった。
ああ、お父さんが僕を殺そうとしている。
ここは世界のどん底だ。
 
 
この高校の屋上は柵が高い。柵の先端を見ようと思えば、僕は首を持ち上げ見上げなければならない。景観を気にして柵を低くとる学校もあるが、ここは逆らしい。景観を完全に無視した高い柵。ここだけ見ればパッと見、監獄のようにも見える。
柵の間も細く通り抜けることは不可能だ。安全策は万全。
「ここからは飛び降りられねーよ。」
背後からの声に僕は笑ってしまった。
確かにここからは絶対に無理だ。飛び降りる気持ちすら折れる。
僕は声のするほうを振り返って軽く頷いた。
「あいにくの曇り空だね。」
僕の笑顔を見た草太が安心したように笑いを返す。そして近づいてきて焼きそばパンを空に投げた。
「ありがとう。」
それをキャッチして僕はその場に腰を下す。眼鏡を指で押し上げて、どんよりとした空に僕は視線を預けた。
「折角の屋上なのに、この堤防みたいな柵と曇り空だと窮屈に感じるよね。」
言う僕に、すでにコロッケパンを頬張っている草太が頷きながら口を動かす。
彼はいつだって豪快だ。よく言えば大らかで、悪く言うと大雑把。僕にはどちらも無い要素だから、僕は彼を面白いと思う。
彼は僕の横を陣取り、足を大きく投げ出すようにして座ると、手に持っていたイチゴミルクのパックを二つ地面に置いた。彼に飲み物を頼むと専らイチゴミルクか抹茶オーレだ。僕が一度、緑茶を頼んだことがあったけど、その時ですら買ってきたのは抹茶オーレだった。多分、味覚が子供なんだと思う。
「良いんじゃねーの。日下は開放されたがりだからな。」
痛い一言をサラッと言う。厭味だが、その軽い口ぶりがその重みを消すから不思議だ。僕は焼きそばパンのパッケージを開けてそれに口をつけた。
「うまい?」
言いながら、草太が僕の手を掴んで自分の方へ引き寄せる。ぱくりと僕の焼きそばパンにかぶり付き満足そうに笑った。
「うまいな。」
「人のものを~。」
僕が怒ると、いけしゃあしゃあと「まだ金貰ってねぇからオレのだもん。」と言う。そういう問題じゃないだろう。
でも本当に美味しそうに食べるので僕の怒る気も失せてしまう。それが良くないんだとは思っているけど、どうしようもない。例え悪いのが草太であっても、彼に腹を立てている自分が、何だか器が小さいような気がして申し訳ない気分になる。人に気を使い過ぎるのがお前の良くないところだと良く草太に言われるが、こういった考えにすぐなってしまうのも、その一環なのかもしれない。
「日下はいっつも焼きそばパンかメロンパンだな。焼きそばパンは良いとしても、メロンパン一個で午後が持つとはオレ思えないんだけど。」
「僕は動かないから大丈夫。」
「いやいや体育とかあんじゃん。動きたくなくたって動かされんじゃん。ほれ、見てみ。」
僕の腕を取って自分の腕と見比べる。僕は自分の腕の細さにうんざりした。いつも見ていて軟弱な腕だと嫌気がさしていたが、草太と比べると男として恥ずかしいぐらいに細い。うっすらと血管が青く浮き上がっているのも見ていて痛々しいと思った。
草太は僕より身長は小さいけれど、その他の全てが勝っている。
「細過ぎ。食え、とにかくカロリーを摂取しろ。好物なんだっけ?」
「…もずく。」
「ローカロリー、却下。次に好きなのは?」
「お豆腐。」
「ソレも却下。次は?」
どうして却下なのか理解できないが、僕は次の好きなものを探す。草太が今何をしたいのか?何が言いたいのか?言ってくれないと良く分からない。
「おくらとか好きだね。」
僕の言葉に草太が突然、溜め息をついて頭をばりばりと掻き出した。呆れたような仕草で僕を上目遣いで見る。
なんだろう。僕は草太の行動がよく分からず、一人浮ついた感じで視線を泳がせた。
「お前はどんだけヘルシー嗜好なんだよ。ダイエット中かよ。お前…高校生の好きなものが、もずくに豆腐におくらだと!今時ジジババだってハンバーグぐらい言うだろうが。しかも何で食材なんだよ、普通好物って言ったら料理名言わないか?」
「そ、そうかな…。」
勢い良く話されると僕は若干付いていけない。まくし立てられるのは昔から得意じゃない。話すタイミングが分からなくなるからだ。
「そんなに怒らなくても…。」
消え入るように言った僕の声に、草太が更に頭を掻いて溜め息を付いた。屋上に来てから二度目の溜め息だ。僕は何度この親友に溜め息を付かせたら気が済むのだろう。でも不可抗力なのだ。僕は決して溜め息をつかせようとか困らせようとか思ってはいない。
ただ僕と草太は余りにも違うから、気づくと草太は溜め息ばかりつくハメに陥っている。
それを申し訳ないと思いながら僕は受け流す。僕にはどうしようも出来ないからだ。
「怒ってるんじゃなくてさ、心配してんじゃん。オレ、そんなにお前に怒ってばっかりいるかな。」
聞かれて、「はい、そうです。」とは言い難い。
草太は怒っているつもりは無くても、僕が怒られていると感じることは多々ある。感情をストレートにぶつけてくる草太の言葉は僕にとっては結構な痛手になったりする。それはきっと僕が弱いからで、草太が悪いわけじゃない。
「だんまりかぁ…ってことは怒ってんだな、オレ。」
小さく一人ごちた草太が眉間に皺を寄せてコロッケパンの最後を口に押し込んだ。もごもごと口を動かしながら、イチゴミルクを手に取る。
いつも思うけど、コロッケパンとイチゴミルクが口の中で交わったらどんな味がするんだろう。僕にはそんな衝撃的な出会いに挑戦することは出来ない。僕は焼きそばパンをきちんと咀嚼してから、イチゴミルクに口をつけた。
「それにしても日下って屋上好きだよな。」
「うん。開放感があるからね。でもこの学校の屋上はイマイチだよ。」
僕の言葉に変な顔をして、ポケットからカロリーメイトを取り出す。コロッケパンだけでは、やっぱり草太の腹は満たされなかったらしい。それをイチゴミルクで流し込みながら、草太は僕を見た。
「オレ的には、この屋上の柵は日下に丁度良いと思うよ。」
そう言って困ったように笑う。
「もう見たくねぇよ、お前が柵の外にいる姿。」
その言葉に僕は草太の顔を見つめた。
覚えているのだ、彼は。当たり前だ、忘れられるわけが無い。クラスメイトが屋上から飛び降りようとしている姿などそう滅多に見れるものではない。そして、一度見たら忘れるわけが無い。
…うん、そうだね。
僕は言葉を発さず、軽く頷く。その小さな動きを見て、草太は僕の頭を優しく撫でるように触った。
「お前が開放されたくなったら、オレんとこ来いよ。ここらで一番高い展望台に二人で行こう。」
この言葉を聞くのは何度目だろう。柔らかく優しく、僕の中へ自然に溶け込む草太の言葉。
草太はあの時もそう言った。中学の屋上の柵を越えた僕に草太は言った。
「高いところが好きなら屋上より展望台に行こうぜ。」
笑いながら僕の手を掴んで引っ張った。
お前は何も変わらない。笑った顔も僕に対する気取らない話し方も。
こんなにも病んでいる僕を前にしても全く怯まないお前は、本当に凄いと思う。
僕がふっと口元に笑みを浮かべると建吾が不満そうに「人の本気の言葉を笑うなよなー。」と軽く頭を叩いてきた。
ああ…僕は、お前がいなかったら死ぬことなんて怖くは無かった。
ざぁーっと心地の良い春の風が屋上を吹き抜ける。
髪型を気にした草太が軽く頭を押さえた。
でも、今はきちんと怖いと思えるよ。
「草太に言い忘れてたことがあったんだ。」
僕は風を肌に感じながらゆっくりと目を瞑る。
程よく乾燥した春の風。この風に身を任せたいとはもう思わない。
「僕は屋上で風を感じることが好きなんだ。」
だから、ずっとこうやって風を感じていたい。お前と一緒に。
「そっか。」
草太がストローでイチゴミルクを最後の一滴まで啜ろうと健闘している。本当に子供みたいだと僕は思った。
「うん、だから展望台じゃダメなんだよ。」
言って僕は、そっと笑う。
草太はその言葉に唇を尖らせてから、一言言った。
「お前のイチゴミルク一口くれない?」
僕は「やだよ。」と言って破顔した。
 
『屋上パラサイト』おしまい。


※コメント※
 身長の小さい方が大きい方を押さえ込むという下克上が個人的に好きです。ただそれだけで書いている日下さんと草太さん。物凄い趣味のはけ口ですね。しかも日下眼鏡だしな(笑)。個人的に一度で二度美味しい奴らだ。

 →目次
 →人物設定の確認
 →ひとつ先の日下と草太へ
 →中学時代の日下と草太へ




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