~短編置場:風鈴~
風鈴が鳴らなくなっていたことに気付いたのは秋人だった。
洗濯物干し竿に垂らされた風鈴は、当初は透明感のあったガラスであったが、今では手にとって太陽に翳すと良い具合に遮光する。これでは描かれている金魚も窒息するな…と思い、秋人はそれを流し台で洗った。綺麗になった風鈴を眺め、手を拭くついでに風鈴の水滴も拭ってやる。澄んだガラスの中で、金魚は息を吹き返したかのように鮮やかな紅色をしていた。
さて、いつからこの風鈴は鳴らなくなっていたのだろうか。本題について考えてみるが、予測は立たない。それは秋人が基本的にベランダに気を配る人間で無いからだと言えた。炊事、洗濯、掃除、そう言った家事全般を秋人はやったことがない。二十八年生きてきたが、炊事を行ったのは学校での家庭科の授業だけである。あれは苦痛であった。
暫く考えていた秋人だったが、一人で悩むのを止め、二人掛けのソファに横になり居眠りをしている男に声をかけることにした。
「春平、起きろ」
眼鏡をかけたまま熟睡している男はそんな言葉ではピクリとも反応を示さない。眼鏡をかけているということは、本人は寝るつもりで寝たわけではないのだろう。だらだらしていたら寝てしまった、そんなところだ。秋人は仕方なく男の肩を掴んで揺らしながら声をかけた。
「春平、起きろ。もう八時だ」
「え? マジ!?」
目を大きく見開いて飛び起きた男は焦った様子で勢いよく立ち上がると、自分が今まで眠っていた場所がソファであったことに気付き、はめられたと言った具合に忌々しそうな表情を浮べて見せた。ずれた眼鏡を直す人差し指には絆創膏が貼られていた。
そういえば、春平は昨日豚肉と一緒に自分の指も切っていた。
「寝坊したかと思ったじゃん、心臓に悪い」
「人生は時にスリルが欲しいだろ」
「オレにそんな気遣いは必要ないよ」
笑った春平はソファに腰を下ろし、秋人を見る。そして彼の手の中の風鈴を見つけて「ああ…」と穏やかな笑みを見せた。
「貸して」
そう言った春平は綺麗になった風鈴を手に取り、眺めて笑う。
「珍しいね、秋人がベランダに出るなんて」
「外でカラスがギャーギャー騒いでるから何事かと思って出てみたんだよ」
「何事だったの?」
「知らね、痴話げんかじゃねーの」
ふうんと言って春平は風鈴を机に置く。
「カラスが同じ家の上を三回旋回してたら、そこん家で死人が出るって話しらない?」
「ガキの頃聞いたような気がするな」
「そうそう。子供って不吉な話好きだよねぇ…って、このアパートの上カラス飛んでないだろうな」
人差し指を天井に向けた春平に秋人が整った顔をくしゃりと歪めて笑う。
「なんだよ、春平。迷信信じる方か?」
「迷信を馬鹿にしたら駄目だってばあちゃん言ってたからなー」
窓から差し込む光が風鈴に注ぎ込まれ、風鈴を経由して部屋の中に光が飛び散っている。「ねぇ、見て。簡易プラネタリウム」
笑う春平に「星がねぇじゃん」と返すと「じゃあ、水族館」と訂正され、秋人は「それならば納得」と呟き壁と天井を流れるように眺めた。
光のどこがどう屈折してこんなにも幻想的な空間を生み出しているのかは分らない。知る必要もない。
春平は立ち上がると光の水族館を楽しむように部屋の中をぐるぐると歩く。秋人が風鈴を手にして揺らすと「おおっ!!」と楽しげに春平は光を追いかける。そして手を伸ばしてその光の動きを面白がった。手にすっぽりと納まる小さな風鈴から溢れる光を春平は気に入ったようだった。洗って正解だったなと思いながら秋人は風鈴を机に戻す。
「これ、中のガラス玉が無くなってんだけど、これじゃ風鈴の意味成さないんじゃないか?」
「あーホントだ。言われてみれば確かに今年の夏は一回も鳴ってないかもね。いつ無くなっちゃったんだろ、春かな。全然気付かなかったよ」
「フツー風鈴って一年中出しとくもんじゃねーもんな。そら劣化激しいわな」
「そりゃまーね。でもさぁ、男が風鈴出したり仕舞ったり、そんな風情のあることに精を出してたら気持ち悪いじゃん」
妙に納得できることを言って春平はソファに腰掛けて窓へ視線をやる。目を細めて緩い風に身を任せている木々を眺めて「小春日和だねぇ」と日光に照らされていつもより色白に見える手をサンバイザー代わりにして太陽を覗き込む。「おー、目がやられる」
のどの奥で笑った春平に呆れながら秋人が彼の腕を掴んだ。
「ん?」
「新しい風鈴が欲しい。ちゃんと鳴るヤツ」
その言葉にきょとんとした春平は男にしては小ぶりな頭を軽く捻って「今の時期に? 風鈴?」と眉間にシワを寄せる。
「売ってないんじゃないかな。風鈴って夏の風物詩でしょ?」
「ああ、そりゃそうか」
納得する秋人に大きな瞳を細めて春平は柔和な笑みを見せる。
「風鈴があったことなんて忘れてたくせに、なんで今更新しいのが欲しいわけ? いらないでしょ、別に」
からかい気味に発せられた言葉にすかさず秋人が反論する。
「今まで当たり前にあったもんが無くなったら寂しいじゃねーかっ」
口を尖らせて少し拗ねたように言ってから、自分の発した言葉が照れくさかったらしい秋人は顔と耳を赤くしてバツ悪そうに「今のナシ」と呟く。そんな大人げない態度に笑って、春平は風鈴を持ってベランダに出た。もとの定位置に風鈴を吊らして振り返った彼は、秋人の訝しそうな顔に向かって「これで寂しくないだろ?」と爽快に笑った。
「おい、待て。なんの解決にもなってねーぞ。それ、鳴らねーんだからもう風鈴じゃねぇし」
「鳴らなくても風鈴は風鈴だよ。足へし折られた人間だって人間に変わりないでしょ? それと同じ」
眼鏡の奥の目がキラキラと無邪気に笑む。邪悪なのか天然なのか、残酷なことを口にした自覚はないらしく屈託なく春平は笑っている。
「例えが普通に怖いんだけど」
「分かりやすいと言って」
わざとらしく身震いして見せた秋人の手を引いて、風鈴の見える位置まで連れてくると、春平は風に揺れている風鈴を絆創膏の貼られた人差し指で差して「見ろよ、金魚が泳いでる」と楽しそうに言う。なにが楽しいのかサッパリ分からないのだが、その腹の底から今の風鈴の状況を楽しんでいる春平に釣られて笑ってしまった。
空から目を潰しかねない紫外線が降り注いでいて、肌の水分を奪うほどに敵意を露にした空気が周囲を取り囲んでいる。そして隣には無邪気に笑う春平。
彼の絆創膏の指が指し示す先は用を成さなくなった風鈴。
じっと見ていると空とガラスの境が曖昧になる。
ああ、なるほど。
当たり前の日常の中で、息を吹き返した金魚が紅色の尾びれを揺らしながら空中をゆらゆらと泳いでいる。
とても気分が良さそうだ。
『風鈴』 おしまい
※コメント※
冬なのに、風鈴です。そしてこれ、、、B、、、L、、、か? 謎です。でも、いい年したオッサン二人が風鈴の光でキャッキャ言ってたらびーえるっしょ!!びーえるっしょ、マジで!?(←勘違いも甚だしい) 大変スイマセン。いつも書きたいもんしか書いてません、マジスイマセン。 そして、次回更新の目処が全く立っておりません。これまたスイマセン。いい加減予定の立てられる人間になりたいです、誰かそんな神がかりな能力を私にくれ!!!!
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